こちらでは、胆道閉鎖症や乳幼児肝疾患のお子さんを持つご家族から寄せられた体験談を載せてあります。病気が発覚に至った経緯、病院での治療、移植についてなどのお話を載せてあります。医療が発達した現代では、葛西手術を始め、肝移植などで救命される赤ちゃんが増え、その後も元気に生活できているお子さんが大勢います。
 病気が発覚して、色々とご不安や辛い思いもあると思いますが、こうして元気になったお子さんも沢山おりますので、希望を持ってください。

東京都Mさん(便色カードからの早期発見)

東京都Mさん(便色カードからの早期発見)

 2012年に便色カードが収載されたものの、まだまだ母子手帳には情報は十分にあるとは言えません。今後更なる情報が母子手帳でも掲載されるよう努力していきたいと思います。
 東京都のMさんは便色カードによって、違和感を感じて、早期に受診することができました。また、Mさんの場合、第一子時には便色カードがありませんでしたが、経産婦でも便色カードを活用することで、新しい知識を得ることができました。Mさんに、便色カードからの早期発見について、お伺いしました。

(1)第一子のころと、第二子のころで比べて、便色カードによる意識の違いは?
 私は、2009年に長男を出産し、2013年3月に第二子として長女(胆道閉鎖症児)を出産しました。
 長男妊娠時は便色カードがなかったため、長女の母子手帳が交付されたとき「カラーページが増えている」と違いが目に留まり、それが胆道閉鎖症の早期発見に繋がりました。
 「赤ちゃんのうんちの色に注意しましょう」という文言と、「胆道閉鎖症」という病名はその時なんとなく頭の片隅に残りました。妊娠の段階で過度な心配をしていたわけではありません。また胆道閉鎖症という病気の詳細は知らず、詳しく調べるようなこともその段階ではしていません。

(2)4番の色で受診に至るまでの過程
 出生~生後3週間の長女の便色は、カラーチャートでいうところの4番でした。はっきりとした黄色だなぁ、長男はもう少し濃かった気もするなと感じましたが、個人差と受け止めていました。カードには「1~3番は要注意」という主旨の記述があったので、4番は大丈夫だと安心していました。ミルクの飲みも良く、元気でしたし、黄疸はあったにしても気になる水準ではありませんでした。(尿色については特に注意しておらず記憶にありません。)(肝ったママ注:便色カード4番は要注意・要観察です。)
 生後19日目、便の色が更に薄くなっていることに気付きます。レモンイエローのような淡く明るい色調でした。(No,2~3程度)はじめ気のせいかとも思いましたが、妹が 「うんちの色薄くない?」と話しかけてきたことで、客観的に見ても薄いのだという危機感が生まれました。
 確か母子手帳に「うんちの色に注意しましょう―― 色の薄い便は胆道閉鎖症など病気の疑いがあります」という情報があったな、ということが頭をかすめました。
 とにかく相談してみようと即時里帰り先の総合病院を受診しました。白っぽい便が出たと、小児科医師に現物持参のうえ相談したのですが、「金曜の夕方なので検査はできない。一過性のこともあるので 土日経過観察して月曜におさまっていなければまた来てください。」とのそっけない回答でした。焦る気持ちが空回りした形となりましたが、当日はそのまま帰宅しました。
 帰宅後改めて「胆道閉鎖症」をインターネットで検索し情報を得ると、あまりにも悲観的な情報ばかり出てくるので愕然としました。「原因不明の難病。一日も早い診断確定と外科的手術(葛西術)が必要。無治療なら2歳になる前に死亡する。葛西術を行ったとしても、60%以上が肝移植の適用となる…。」現代において手術しても治らない病気なんてあるのかというのが第一印象でした。
 土日も淡い色調の便は続き、私は「稀な病気とはいえ胆道閉鎖症の可能性が少なからずある。専門医がいて、かつ移植で実績のある病院をすぐに探さなくては。」と死にもの狂いでした。付け焼刃ながら小児肝疾患について勉強し、どの病院が良いのかあたりをつけました。(しかし、一般人が検索エンジンで病院を選ぶのはとても難しいというのが実感です。)
 週明けの月曜、再度地元の市立病院を受診し、採血・エコー・CT(造影剤なし)を受けました。その結果、医師より胆道閉鎖症を明らかに疑わせる証拠は見つかっていないものの、 白色便と高ビリルビンから大学病院への紹介をする旨告げられました。私は最短の時間で最善の医療にアクセスしてあげたいという気持ちが非常に強く、自ら国立成育医療研究センターへの紹介をお願いし、すぐに帰京しました。
 2013年4月、国立成育医療研究センターを受診し、胆道閉鎖症疑いで即日入院しました。その後各種検査を重ねながら経過観察を続け、やはり胆道が閉塞している疑いが高いことから、生後38日目に胆道造影及び葛西術を行った次第です。(但し減黄不良につき生後6ヶ月頃、母親である私をドナーとする生体肝移植を受けました。移植後の経過は極めて良好です。)

 このように、Mさんは母子手帳の便色カードをきっかけに受診できたそうですが、病気に関する情報自体は自力で入手しておりました。また、4番についても「大丈夫」という認識でおられたのは、やはり便色カード自体の説明不足だと思います。母子手帳や出産した産院、健診を実施する小児科などで、病気の知識や病院の紹介などが入手しやすい環境を整える必要があると感じさせられました。

中国地方Yさん(転勤族の病院探し)

中国地方Yさん(転勤族の病院探し)

 患者ご家族の中には、お仕事の関係で転勤族の方もおられるかと思います。中国地方に住むYさん家族もそうでした。Yさんより、転勤に備えて、どのようにお子さんの病院を探したか、体験をお話いただきました。

  「私自身が転勤族なので、新たな病院や主治医については、大きな不安があります。知り合いの中で、転院先の主治医と初日から合わず、すぐに主治医を変更してもらった方がいました。また、息子が大きくなってから、新しい学校や地域の皆様に、はたして温かく受け入れて貰えるだろうか…、入院中に転勤が決まれば大変!…などの不安もあります。
 最近は暇な時間があれば、次の転勤候補地(5か所)の病院や幼稚園等をよく調べています。秋にでも転勤がありそうなのですが、転勤が決まれば、1週間位で動かなければならず、家探しに追われて、病院をゆっくりと調べる余裕がなさそうでして…。今までの物件探しは、主人の勤務先に近い事が第一優先でしたが、今後は息子の病院を中心とした物件探しにする予定です。
 その医療機関について、地元の難病相談センターに問い合わせをし、ご返答がきました。主治医との世間話には、新しく規模が大きい医療センターの話題がたまに出ますが、そこは駅から遠いですし、他にも病院があり過ぎて迷っていたのです。だからBAの皆様はどちらの病院に通院しているのかを図々しくも、支援課に問い合わせをしていました。
 県内の講演会の開催予定なども、親切に教えて下さるので良いと思います。 各都道府県には、難病の相談窓口があると思います。昨年、別の難病センターにTELした時は、BAっ子の御家族が数組、相談に来られたとの事でした。地方在住の方向けに、この支援課の存在をリンク等でご案内すれば、この様に何かと助かると思います。

リンク:都道府県難病相談・支援センター一覧

但し、これも県により、サポート力には差がある印象です(^^ゞ」
 *一部内容はプライバシー保護のために伏せました。

 都道府県の難病相談支援センターを使って、転勤先の病院情報、そして胆道閉鎖症や肝疾患の方がよく通われている病院はどこかを教えてもらうのは良い方法です。その他にも、あらかじめ今の主治医に転勤のことを話し、次のフォロー先の病院や医師を主治医より紹介してもらう方法もあります。引っ越しする時期がわかりそうであれば、事前に主治医にお願いし、これまでの病歴・治療歴などを記した紹介状を書いてもらい、転院先の新しい主治医に渡すとスムーズに転院できます。。(紹介状には病院規定の文書料金がかかることがあります。)

東北地方Sさん(セカンドオピニオン〜成育で移植)

東北地方Sさん(セカンドオピニオン〜成育で移植)

 東北地方のSさんは、地元の大学病院で通院しておりましたが、移植することになりました。その際に同じ大学病院での移植ではなく、東京の成育医療研究センターでの移植を希望されました。Sさんがされたセカンドオピニオンの経験です。
 待望の息子が生まれて2日目、黄疸の数値が高いということでNICUに移り、光線治療から始まりました。待てど暮らせど黄疸が引かず、大学病院の小児外科医は『胆道閉鎖症』を疑い始めました。我々も、ありとあらゆる所から情報を引っ張り出し、生後2か月以内に、葛西術を行うのが望ましい、という情報を得ました。小児外科医と何回もの話し合いの上、まだ胆道閉鎖症とは断定できないとのことでしたが、生後30日目に開腹手術をいたしました。結果、胆道閉鎖症ではないと診断されましたが、その後もビリルビンの数値も大きく下がることもなく、ウンチも薄い黄色で、もちろん黄疸も引く傾向にはありませんでした。
 再度、肝生検を行ってみようとのことになり、結果、肝硬変で胆道閉鎖症は先天性ではなく、後天性であるため、胆道閉鎖症であるとの診断がされました。一気に奈落の底に落とされた気分でした。泣いてばかりの毎日でしたが、泣いてばかりでは必死に生きようとしている息子に申し訳ないと、再度奮起し、肝ったママ´Sの皆様とも相談し、一度も葛西術を行わないまま、生体肝移植をする方向で考えました。
 大学病院では、一度葛西術を行ってからでも遅くない旨の説明も受けましたが、葛西術を行うことはその時の私共家族の中では0%でした。体にメスを入れる負担をいかに少なく、ダメージも少なくする事が望ましいと教示いただいていたからです。次の大きな問題がでました。どこで『小児肝移植』をするのか?です。私共家族はこれまでの大学病院とのやり取りの中で少なからず違和感があったこと。移植の経験、症例はあるものの、小児肝移植の症例が少ないことから、セカンドオピニオンを申し出ました。大学病院ではもう移植手術に向けて動き出している等のことも言われ、書類もこれまで息子を見ていただいた、小児外科医ではなかなか出してもらえず、同じ大学病院の移植外科の先生からようやく出していただいて、成育医療研究センターへのセカンドオピニオンが出来ました。
 藁をもすがる思いで行ったことを昨日のことのように思い出します。エコー検査をして頂き、これまでお医者様からは抱いてもらったことなどない、息子をしっかり抱いて、部屋まで案内してくれました。一通りの説明を受けて、やはり手術はこの先生のチームにお願いするしかないと思い、その場でお願いを申し上げたとき、『パパ、ママ大丈夫!僕たちはそのためにここにいる。絶対元気にして返してあげるから安心して!』そう言って頂いたとき、夫婦共々人目をはばからず号泣してしまいました。
 ただ、次に問題になったのが、当時小学6年生の娘がいたこと、長い入院生活にあたり、滞在できる施設等々の問題がありました。滞在施設は成育医療研究センターの施設内にドナルドマクドナルドハウスが併設されており、近くには羊さんのおうちもありました。料金も長い滞在には助かるリーズナブルなもので、どちらも1日約1,000円程の利用料金で経済的にも助けていただきました。
 移植手術もいろいろありましたし、その後の手術でも多少の事はありましたが、今はよく食べ、よく笑い、よく泣いて、よく寝て本当に元気になりました。成育の臓器移植センターの皆様をはじめ、手術を頑張った妻と息子、多感な時期に寂しい思いをさせた娘、親身になって、事細かにアドバイスをしてくれた肝ったママ´Sの皆様、息子の移植に携わっていただいたすべての方々に心から感謝を申し上げる次第です。

富山県Tさん(発覚〜自治医大で移植)

富山県Tさん(発覚〜自治医大で移植)

 娘に異常があると最初に分かったのは、まだ娘が私のお腹の中にいるころでした。妊娠7ヶ月に入ったある日、急に胎動が少なくなったように感じ、心配になり病院へ。こんなことで病院に来るなんて心配症すぎるよね、きっとあとで笑い話になっちゃうなぁ、なんて思いながら受けた超音波エコーで、娘の腸に腫れがあることが分かりました。
 すぐに総合病院への紹介状を持たされ、即日入院。今思えばこの日から、笑い話では済まない日々が始まりました。
 2ヶ月ほどの入院を経て退院し、その後自然分娩で娘を出産。出生後の検査で娘は「小腸閉鎖症」という病気であることが分かり、生後2日目で腸の手術を受けました。術後の経過は良好。これで元気になれる、もう大丈夫だ、と安心しかけたころ、入院中だったNICUの主治医から「便の色が薄い。胆道閉鎖症の可能性があります」というお話がありました。目の前が真っ暗になり、帰りの車の中で運転しながらわんわん泣きました。
 その後、生後2ヶ月で葛西手術を受けました。葛西後は容態も落ち着き、自宅で過ごしていましたが、ビリルビンは一度も正常値にはなりませんでした。
 来る日も来る日も、便の色や白目の色を穴があくほど見てはため息をつく日々。そんな中、娘がまもなく1歳になろうとしていたころ、突然の発熱。胆管炎でした。再び始まった入院生活。ビリルビンはどんどん高くなり、どれだけ治療を重ねても一向に下がりませんでした。肝機能やその他の数値も悪くなる一方で、ついに主治医から「移植」の二文字が出ました。胆道閉鎖症と診断された時から、いつかはこの言葉を聞くことになるのかと思いながら、「いや、うちの子に限って・・」と考えないようにしていた「移植」の二文字。けれども、当時ビリルビンは15を超え、白目も全身も、涙も汗までも黄色くなっていた娘を目の前にしたら、「移植」の二文字は、私たち家族にとっては最後にすがれる希望のようなものに変わっていました。
 主治医から紹介されたのが栃木県の自治医大でした。何の縁もゆかりもなく、行ったこともない遠い県の、初めての病院。初診では自治医大の先生から「移植して元気になったら、いくらでも家族みんなで過ごせるよ。がんばろうね」と声を掛けていただき、一気に緊張がほぐれました。不安のどん底にいた私たちが、先生のこの言葉にどれだけの希望をもらったかわかりません。
 その後、地元の病院から自治医大に転院。病棟は完全看護なので、夜子供が寝てしまうと看護師さんが「お母さんは帰ってゆっくり休んでくださいね」と声を掛けてくださいました。地元の病院ではずっと付き添いが必要で、病室で寝泊まりしていたので、本当にありがたかったです。(完全看護ですが両親は24時間面会可能(消灯後は可能な限り短時間で)、祖父母および13歳以上のきょうだいは15~19時が面会時間となっていました)
 また、移植を受ける家族には自治医大の敷地内にある教職員専用の住宅(4階建てマンション)の一室(2LDK)を借りることができます。部屋には、エアコン、冷蔵庫や電子レンジ、洗濯機や物干し、テレビ、炊飯器に鍋や包丁、食器などの調理器具全般も備わっており、すぐにでも生活できるようになっています。光熱費や貸布団も含めて一泊1500円で滞在することができました。自分以外の家族(祖父母やきょうだい児)が来た時もみんなで泊まることができ、また1日付き添いをして疲れても、自分だけのペースで過ごす部屋があるということがとても助かりました。(病院の目の前には「ドナルド・マクドナルドハウスとちぎ」があるので、退院後の外来通院などではこちらの施設にお世話になっていてとても助けられています)
 このように親にとっても非常に過ごしやすい自治医大の環境だったので、私も体調万全で娘に付き添うことが出来ました。
 病棟では点滴をしていても入浴させてもらえ、食事も感染症等がなければベッドを出て、ほかの入院中の子供たちと一緒に食事スペースで食べることができます。病棟保育士さんによる保育の時間もあります。先生も看護師さんもたくさんの小児の肝移植を経験されているので、分からないことや不安なことがあればすぐに質問して答えてもらえたし、夜寝ている間の娘の様子を夜勤の看護師さんが私宛にメモに残しておいてくださったり、ありがたい配慮がたくさんありました。また、入院中の患者さんには肝移植後のお子さんも何人かいらっしゃったので、とても心強く、非常に穏やかな時間の流れの中で移植当日を迎えることができました。
 娘の移植は成功し、術後45日目で元気に退院しました。真っ黄色だった白目や肌は真っ白になりました。常に怠そうで表情も乏しく、食欲もほとんどなかった術前とは見違えるくらい、たくさん笑い、たくさん食べるようになりました。細かった手足にはお肉が付き、たくさん走って動き回っています。「ただ普通に家族そろっておうちで暮らしたい」移植前の願いが今叶っています。
 たくさんの人に支えられて、今、娘は元気いっぱいにすごしています。普通のことが普通にできる幸せ、普通は特別なんだってことを実感している毎日です。

東京都Sさん(発覚〜成育で移植)

東京都Sさん(発覚〜成育で移植)

 何かおかしいなと生後2ヶ月あたりから感じてはおりました。肌が黄色い、白目も黄色い…。でも、自費で行った2ヶ月健診では医師に「黄色いね」と言われただけで、他に何も言われませんでした。生後66日頃、同じ月齢の赤ちゃんママ仲間と集まる機会があり、そこで他のお子さんが排便し、偶然おむつを換えるところを目にしました。「えっ?赤ちゃんのうんちの色ってこんなに濃いの?」「混合栄養のうちの子より、母乳の子のうんちが濃いもんなの??」と嫌な予感がしました。そしてその翌日、2ヶ月ぶりに子どもに会いに来た親戚に「生後二ヶ月のわりには黄色くない?」と言われ、これは何かおかしいと、生後70日目に産まれた総合病院の小児科に「うんちのついたおむつ」を持って受診しました。
 おむつのうんちの色と、肌や白目の黄疸を見た医師はさっそく採血をしました。結果が出るまでの間、とっても不安でたまりませんでした。結果が出て、「胆道閉鎖症という病気の可能性があります。すぐに手術をしないと命に関わります。大学病院を紹介しますので、すぐに行って下さい。」と医師から伝えられ、頭の中が真っ白になりました。その足ですぐに大学病院へ向かいました。
 大学病院ではすぐに手術の予定を入れられ、それまでの一週間、様々の検査をしました。その間、検査のため絶食している子どもはずっと大泣きし、私は目の前の我が子をなだめるのに必死でした。検査の結果、「胆道閉鎖症の可能性が非常に高い」と思われるが、「開腹して胆道造影をしてみないと確定できない」と言うことで、腹腔鏡による胆道造影をし、胆汁が流れないことが確認されたため、そのまま葛西手術となりました。生後80日目でした。
 その後、原因不明の消化器官下血や胆管炎、また投薬や手術の影響による合併症などを経ても、ビリルビン値は一向に下がらず、栄養の吸収も悪くなり、QOLが低下していきました。生体肝移植を提案され、そのために生後8ヶ月に国立成育医療研究センターに転院し、生体肝移植を行いました。
 肝移植前に我が子は二度の葛西手術を含め、合併症の腸閉塞の手術と三回開腹していたため、かなりの癒着が予想されましたが、大学病院の先生方が丁寧に手術を行ってくれたためか、移植手術の際は思ったほど癒着はひどくはなかったとのことでした。移植手術後は、免疫抑制剤の調整に時間がかかり、一ヶ月間ICUに滞在しました。その後順調に回復し、移植手術してから2ヶ月後に退院できました。
 退院後は感染症などに不安がありましたが、少しずつ普段の生活を送れるようになりました。熱や嘔吐下痢症で緊急入院することも何度かありましたが、年齢の成長とともに身体も少しずつ丈夫になっていきました。今では普通の子どもと変わらない生活を送ることができています。
 難病と知った時、同じ大学病院でも同じ病気の方に出会う機会もなく、とても孤独でした。しかし、mixiなどインターネット上で同じ疾患の方と出会い、また移植先の病院でも沢山の仲間に出会うことができました。今では、同じ病気の子を持つ親御さんや移植をしたお友達と交流しています。